水没寸前・・・とはいかない

2011年01月25日 21:09

こちらだと毎年12月にはいつも通っているプールがメンテで閉鎖されるので,自分の数少ない習慣の一つが一気に歩みを止めてしまう。
しかも昨年はその前に手の怪我で更に一月泳ぐことも出来てなかったから,実は二月ほどその”習慣”がなかったことになる。
二月も間が空いてしまえばれっきとした習慣の終わりだと思えなくもないのだけど,そこはやはり未だに(?)衰えを知らない健康ブーム(そもそも長すぎてブームでもない気がする・・・)に少なからずあやかりたいのか,何はさて置きただ気晴らしの為に身体を伸ばしたいのか,はたまたひたすら泳ぐことでなにやら悟りでも開けそうなのか(呼吸が危なくなって別の世界が見えたことはある,三途の川でもないけど)・・・。
結局年始から更に数日,やっと定期どおりに開放しだしたプールの方へ,自分でもおっかなびっくりと言う感じでササッと脚を運んでみたのである。
さすがに二月もの間が空けばやる気よりも「面倒」が真っ先に自分の頭と身体を支配して,文字通りなし崩しのように終わっていてもおかしくなかったのに,我ながらあの綺麗なのか汚いのか判らない塩素水の中がやけに恋しかったようである(とは言え設備的にもそこのプールはかなり清潔で水質も良いのだけど)。

デスクワークが大半の今の自分にとっては下半身よりも上半身の方が筋力の衰え具合はかなり酷い,と言うことは今まで多少サボった煽りで充分経験済みだ。
恐らく今日もまずもって肩に”くる”ことは容易に想像が付いている。
自分の場合,水泳の翌日以降に筋肉痛には全然ならない,その代わりに肩や大腿は相当重さを感じる。
色々言われているけど結局強い衝撃が入るスポーツではないから明らかに筋肉の使い方が違うのだろうと思う。
怪我の心配は早々無いけど,疲れ方はかなりのものだ。
それ以前に果たしてどこまでいつも通り泳げるか,頭と身体,理想と現実のギャップの妄想が泳ぐ前の自分の中であっちゃこっちゃとうごめいている。
勿論大半は否定的な見解ばかりだ。

そんなやる気だけ先行しそうな身体を抑えつつ,久々の塩素水の中にゆっくりと身体を沈ませる。
耳栓はもはや常備品だから水の中とあいまって余計な雑音が一気に消えて聞こえるのは自分の呼吸のみ。
最大水深が2.2mのこのプールだと前に広がる視界は本当に心地いい,とにかく広さが違う。
とは言えそんな悦に浸りまくってるとドザエモンが一つ出来上がるだけなので,とかく腕を回し脚をばたつかせ(正直子の表現の方が正しい),限られたわずかな時間で息を継ぐ。
今までの経験値を食い潰しながらあれやこれやと思い出すことに必死である。
驚いたのは,ブランク明けにしては呼吸がかなり安定していたことだ,冬場でタダでさえ水温も上がらないから泳ぎ始めなんかは特に呼吸が辛くてしょうがないのに,その心配が一切無かった。
自分の横隔膜の記憶力の素晴らしさに感心する,そんなもの無いかもしれないが。
後は腕と脚の出来如何でいかようにでも・・・,と言う淡い期待はやはり淡かった。
息が続いてもやはり予定通り腕があっという間にでくの棒と化して,まともに前に進まない。
理想と現実のギャップはなかなか毎回ながら凄まじいものがあったのである。

兎にも角にも今年も習慣がやっとスタートした。
早く理想と現実のギャップが埋まるよう,今は祈るのみ・・・ではなく回数をこなすしかない。
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