携帯電話の限界

2010年05月31日 21:28

富士の走行会でも毎度のように何枚か携帯で写真を撮ってはおいた,後々の記念になるし損は無い。

が,今回久々に撮った写真の数々を並べてみてちょっと驚愕せざるを得なかった,写真全体にかなりの数の「ゴミ」のようなものが写りこんでしまっていたのだ。
もしやと思い携帯のカメラレンズをまじまじと見つめてみたら思った通り,レンズカバーの恐らく内側に傷なのかゴミなのか劣化したのかかなりの数の粒粒のような汚れが見て取れる。
カバーは当然ながらレンズのすぐ前にある訳だから,例えどんなにアングルを弄ったりして頑張ろうとも必ずこの「ゴミ」を全て拾ってしまっていたのだろう。
それにしてもしばらく携帯のカメラを使っていない間によくもここまで劣化してしまったものだ。
今のご時世カメラ付き携帯なんか当たり前とは言え,今時写真を撮るなら写りも機能も良いデジカメが主流。
ただ,デジカメも携帯も常に2つまとめて持って歩くのは何かと煩わしいからと考えて,今まで自分はずっと携帯のカメラでその役割を担わせてきたと言う現実がある。
今の携帯にしても前の携帯にしても選んだ一番の理由は見た目よりも,当時の時点で「一番カメラの仕様が良いから」に他ならなかったのだ。
少なくとも今の自分の携帯FOMAの902シリーズなんて骨董品(もう4年以上前??;)の時はまだ携帯のカメラに特化するか他の機能に特化するかで機種はかなり棲み分けられていたから,選ぶこちら側としては却って楽だった記憶がある。

そんなノリで,東北から能登半島の先端までひたすらに走りまくった時も,はたまた岐阜は白川郷で何故かGT40さんと蒼樹さんと合流の上合掌造をのん気に観光したりした時も,重要機材としてバリバリ働いてくれてたのだけど,さすがにこの期に及んでは少なくともカメラとしてはもはや潮時なのかも知れない。
実家のばあさんにまで「あんたは何でそんな物持ちが良いんじゃ??」と呆れられるほど自他共に認める物持ちの良さを誇る私ではあるものの,ことハイテク電気関係については当て嵌まってくれないらしい。
と言うより,元々寿命の長さではローテクとハイテクではどうしても差が有るのはご存知の通りな訳で,一時期まで買い替えサイクルが尋常じゃなかった携帯の世界からしたら4年レベルはもう本当に骨董品の世界なのだろう。
電池すら二回も変えたのだから,内蔵物のカメラが逝かれても当たり前と言わざるを得ない。

こちらに転勤してきてからはあまり色々と遠出する機会も失せてしまったので,必然的に携帯カメラの出番も減ってきたのでまるで気にもしてなかったけれど,何度も落としてしまったし何より携帯は毎日持ち歩くものだから消耗のレベルはかなりじゃないだろうか。
さて,とは言え今後写真を撮らないなんて保証は何処にも無いから,選択肢は2つ。
1:携帯を買い換える,勿論カメラ優先で。
2:デジカメを買ってしまう,さあ煩わしい世界へようこそ!
どっちにしろ,それ相応の「」になる上,選択に失敗すると無駄にストレスの溜まる生活を強いられるから(使いにくい携帯ほど大変なことは無いと思う)なかなかこれは厄介だ。
デジカメにしても携帯にしても市場は結構な飽和状態な印象も受ける分,製品はどれも大きく違わないようで随分違っているから,例えハイテクでも長距離酷使無双の自分からしたら慎重にならざるを得ない。
辛うじて今回の賞与も存在はするから,どちらかには走りそうな気もする。
但し,結論に至るまで散々悩んだ挙句,買ったら買ったで変な所で不自由して文句たらたらになりそうな気もしなくもない。
決断の遅い人間のやることは毎回そんなオチなのは,本人が一番良く知っているのだ。
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