SA(ETC専用)の恐怖

2012年10月28日 20:49

そもそも栃木からはるばる福井の実家へクルマで帰省する時ですらETCも乗せないままでやり切っていたのは、ひとえに兎にも角にも"クレジットカードを持ちたくなかったから"と言う今時の社会人にあるまじき思考(と言うよりはもはや執念に近かった)をつい最近まで持っていたからに他ならない。
現にそんなことを会社の同僚に語ったら真顔で「社会人としておかしい!」と絶句されてしまった、何がおかしいのか正直当時の自分はまるで理解も出来なかったしする気も皆無だったのだけど。
いや、正直に言えば今ですら・・・、実際カードを所有する立場になっていてすら本来クレジットカードなんか要らないと本気で思っていて、現にカードそのものはタンスの奥深くのしかもやたら変な所に隠してしまっていてやたら滅多には取り出せもし無い状態にしてしまった。
もしかしたらいざと言うときに本気で見付からないと言う事態になるかも知れない、ある意味それもまた安全では有ると思う。
普通の人から見れば異常とも見えるかもしれないけど、殆ど自分にとってカードの存在なんてそれこそ忌み嫌ってると言っても良い位の存在だった。
だからほぼ実質クレジットが無いと作れない(ETC専用カードの存在も知ってはいたものの)ETCカードを持つことも下手したらほぼ永久に無いだろう、と思いつつ毎回一見不便そうな料金レーンをクソ真面目に一旦停止して支払いしていたのである。

が、↑の通り諸般の事情でとうとうカードを作って"しまった"、食わず嫌いならぬ"使わず嫌い"なままなのに。
しかし、嫌いなのは我慢してクレジットが有ると言うことは、ETCカードが作れることになったのである。
これを使わない手は無い、ともうその場の勢いにも任せてETCカードも作り、さっさと車載機も乗せてしまった。
それにしても予約も何もなく頼んだ自分が悪いのだけど、待ち時間の長さと言ったら無い。
セットアップとかそもそも車載機を載せる作業があるからしょうがないとは言え、やはりこの手の待ち時間は退屈この上ない。
セットアップさえ判ればいっそ自分でやった方が良かったのかも知れないけど、まあ多分かなり危険な方法でもあると思う。
上手く行かなければETCレーンを塞ぐこと確定なのだからろくな顛末にならない。
そもそも工賃にしたってそこまでべらぼうにぼったくってる訳でも無いから、大人しく任せてしまうべきなのだろう。
現に早速レーンを試しに通過したら(当然ながら)難なく認識してくれて通過できた。

何と言うか、何なのだろう。
このレーンをノンストップで通過できた瞬間の感情が「とうとう出来るようになった!」的な喜びなのか、「やっと世間一般に追い付いた・・・;」と言う焦燥から解放された安堵感なのか・・・、実に複雑な感覚だった。
たかがETC、されどETCだった訳である。
まあこれでインプの高速移動が多少また楽になったし(特に¥的になのは言うまでもありません)、たまにあるETCのみ乗り降り可能なSAでも全然怖くなくなった。
「このSAで降りたら近いんだけどね・・・ETC専用だけど」と言う苦情めいた事態に陥らなくなるだけでも充分なのである。
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意外とのん気な今

2012年10月21日 18:10

結婚式当日までほぼ一ヶ月。
ともなると、周囲からも「結構忙しいんじゃないですか?」とか聞かれるのだけど、実際の所用意周到なおかげかそれとも他と違ってそこまでオリジナルでやることが無いだけなのか、まだそこまで逼迫しているような忙しさではない。
勿論、実家の親に挨拶の話をしたり、友人知人に色々とお願いすることも頼んでは見たりと、あっちゃこっちゃ電話の嵐にはなってはいたものの、幸いなことに皆あっけなく依頼を受けてくれたおかげで今の段階では揉めてそうな部分は殆ど無い状態だ。
前回も妻と二人で打合せに行く前に「他にやらなあかんこととか無いよね・・・?」と少々不安げに御互い聞き直したものだけど、少なくとも大まかな部分ははっきり決まっているから大丈夫じゃないだろうか、と思う。
まあ少なくとも11月に入ればさすがに日程的にも緊張感が出てきて自然とあれこれ細かい所でバンバン決めないといけない部分が多数出てくるに違いない。

良くも悪くも私たちの結婚式自体、そこまで余興もサプライズもある訳でも無いので、不測の事態もそう簡単には・・・起きないとは思う。
まあ親父が酔っ払って引っくり返るとかその辺は充分考慮しておけば良いだろう。
新郎の父が醜態を晒すのはよくあるパターンである、こういう場合。

それにしても自分にとって運が良いと言うか有り難いのは、招待状を送った方々ほぼ全員から参加の返信が、しかも返信期日に全部到着したことだろうか。
まあ事前に電話で来れるかどうか確認しまくったので当たり前と言えば当たり前なのだけど、特に理由も無くパッと「不参加」になってるとさすがに凹みそうな気がしなくも無い。
それにしても失礼ながらよく期日までに全部返信が来たものだなあと感心してしまった。
この手の返事の期日なんて有る意味有って無い様なものだから、平気で一週間位は余裕見ておかないとなあと勝手に考えていたのに結局期日にはしっかり全て揃ってしまっていたのだから驚きである。
意外と自分の人付き合いはちゃんと出来ていたらしい、ドタキャン癖は未だにたまに発症するので危ないのだが・・・。

さて、残り一月。
後悔ゼロとは行かないだろうけど、変な後悔はせずに済むように準備は終えたいものである。

美術館と言われても

2012年10月07日 23:14

高校の時取っていた授業が3年間ずっと美術だった、ただそれだけのことである。
何せ大学では漫画倶楽部(と言う名の漫研でしかないが)に在籍していた変人だから、絵を描くのも観るのもその当時から好きだったのは今でも変わらない。
と言った所で例えば美術にしたって具体的な学問のような知識はまるで無いし、それこそ高校の授業以外を除けば全く専攻も何もあったものじゃないから、例えば
「これは10何世紀うんたら時期のなんちゃらと言う作者が活躍した最も初期に描かれたなんとかかんとか風の以下略・・・」な説明を受けても、文字通り右から左へETCレーンもビックリの超絶スルーモノなのである。

そんな学も風情もまるで無い癖に、時折ネットでもポスターでも出ている美術館のイベントを見るとふと行って見たくなってしまう。
行って何が判るかと聞かれても「さあ?」としか答えようが無い程度の癖に、だ。
いや、"判る"なんて如何にもしったかぶったような台詞なんか抜かさず、ただ単に折角限定公開とかしてくれるんだから一度は観てみるべきじゃないか、と素直な欲求に任せたくなると言うのがこの場合一番正しい自分の意識だと思う。
"百聞は一見に如かず"とやらは少なくとも自分の場合しっかり当てはまるようなのだ。
そんな思いもあって、栃木に赴任している間も1~2度美術館へはアシを運んだし、実家に帰省している時も確か1度隣町の美術館か美術展だったかに急に行ってきたことがある。
そんな一種の"ノリ"に任せて今回は名古屋市はボストン美術館まで行ってみることにした。
御目当ては限定公開も後期に突入した日本美術の至宝だ。
尾形光琳いよいよ登場、と言われてもやっぱり差ほどピンと来ないのが哀しいかな自分の学の無さなのだけど、何となくこう言うのは洋画より日本画の方が観ていて好きだ。
自社仏閣とか城巡りが好きなのだから、自然絵画も日本画のほうに魅かれ易いのかもしれない。

本家アメリカのボストン美術館からはるばるやってきた今回の絵や絵巻、そして屏風。
実は屏風と絵巻に関しては今回観るのが初めてだったりするのだけど、実は今回観ていて一番面白かったのがその絵巻だった。
今で言えば挿絵付きの小説と言うべきか絵本と言ってしまって良いのか・・・、公開されている絵巻を説明に沿って順に観て行くとこれがちゃんと話どおりの絵の動きになっていてその描き込まれ具合に驚かされる。
そう、絵巻にしても屏風にしても今回観ることが出来たものはどれも観れば観るほど圧倒的な描き込みの細かさ・筆の多さに感嘆してしまった。
作品によってはほぼ触れる直前まで近付いて観ることが出来たのだけど、観れば観るほどなんとやら・・・。
まず作品全体を遠くから眺めてそこからあちこち細かい部分を仔細に観察・・・なんて格好つけた真似でもしたくなるくらい、細かな描き込みなのに全体のスケールは圧倒的、そんな絵ばかりである。

そんな中で尾形光琳は・・・なんていうより個人的には実はその後の曽我蕭白の作品の方が面白くて好きだった。
紹介文では「エネルギーに満ちたシニカルでユーモアのある」とあるけど、確かに描かれ方はかなりエネルギッシュだ。
動的な、と言う言い方でも良いのだろうか。

物は試しレベルで来た割に随分面白いものばかり観れた気がする。
やはり現代美術よりはこの手の古典的なものの方が自分は好みだ。