店員

2011年08月26日 19:12

久々に無印のあるショッピングモールまでクルマを飛ばして行ってきた。
本を買うついでにハンカチやらなにやら小物が細くなったのである。
自分の場合その手の小物類なら大体は無印かユニクロでほぼ揃う、半分消耗品のようなものだからその程度の値段のものの方が却って良い。

先に本屋へ寄って目的の品を手に入れる、とは言え本自体は実は6月にはもう発売されていたと言うことを不覚にも昨夜になって初めて知ったものだから、気分的には結構出遅れた感だ。
漫画なり何なり気に言っている本は割とこまめに発売日なんかを確認していたはずが、何だかんだであっさりと自分の捜査範囲から綺麗に抜けてしまっていたようだ。
その脚で取って返して無印へ、"無印"の文字の通り、ココの品物は形にしろ色にしろ人によっては酷いと言われる位の"素っ気無さ"が自分はむしろ好きだったりする。
衣類とか、或いは使い勝手をある程度は拘らなくてはいけない筆記用具類とかでなければ、この無愛想な実用一辺倒の小物類は自分には本当に都合が良い。

が、そんな素っ気無い雰囲気を感じさせていたのは何も店に売られてる賞品だけではなかったらしい。
欲しい物をあれこれと物色していたら唐突に見慣れぬおばさんに、
「なんちゃら(正直聞き取れなかった)タオルって何処に置いてますか?」
と尋ねられてしまった。
呆気に取られていると、そのおばさん聞き取れなかったのを察したのか再び「なんちゃら(正直聞き取れなかった)タオルって何処に置いてますか?」と聞いてくるではないか。
一瞬(と言っても実際数秒位は自分の頭の中を整理する時間が経ったと思う)の間を置いてやっと状況を察した自分はおもむろにこう答えるしかなかった。
「すいません、私は店員じゃ無いので。」
直後、おばさんは「ああ!すいません・・・」と大人しく去っていったのだが、よもやこの期に及んで何を間違えて私を無印の店員を思いさらしやがったのか・・・。
とふと自分の出で立ちを見直してみたらなるほど、ジーパンに白いポロシャツ、しかも柄もイラストも模様も一切無い、そして腰には財布とメガネを入れたポーチがぶらん・・・。
確かにこのまま胸に店員の名札でも引っ掛けていたら実に違和感無く店員のように見られてもおかしくは無い・・・のだろうか。
自分はいそいそと陳列されている品物を物色していただけなのに、そのおばさんはむしろ品物を並び直しているうだつの上がらない店員に見えていたと言うのだろうか。

せめてあのおばさんには名札の有無くらい見て欲しいのだが・・・、とは言えその時の私はそんなに無印に溶け込む位の素っ気無い出で立ちだったのだろうか??と帰りのインプの中でも散々頭を抱えて悩んでしまった。
気晴らしに買うつもりも無かったロールケーキとバームクーヘンまで無印の袋の中に詰まっていたのは言うまでも無い。
何だろう、私の出で立ちと言うかファッションはそんなに素っ気無いのを通り越して事務的なんだろうか・・・。
さすがに頭を抱えそうになる8月の終わりであった。
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活字嫌い

2011年08月18日 21:47

最近連休のみならず、寝る前とか日ごろの暇潰しをしようという時でも何故だか本を読み漁るようになってきた。
それも漫画なら毎度良くある話なのだけど、意外なことに小説とか談話とか自伝とかの所謂"活字"をやたらと読むようになっている。
数年前の学生時分の時分では、眠気を誘う最終兵器ともいえる活字の類なんか滅多に手を出すことなんか無かったと言うのに、若者の活字離れなんて聞こえはいいけど、裏を返せば年寄りはしっかり活字に引っ付いていると言うことなのだろうか。

そんな自分にとって運がいいのは実家にその手の本がかなり豊富なことだ。
親父の趣味なのかおかんの好みなのか、これが偏っているようなそうでないような感じで結構な数の本がある。
それに実家へ帰省するたびに微妙に話題の本まであったりするから、何気に今でも買い足してる雰囲気すらあるから我が親ながら感心してしまう。
”電車男”(もはや懐かしい)まであった時は「そんなん判るんかいね??」とさすがに首をひねってしまったが・・・。
そんな中、自分が結構興味を引かれたのが"坂の上の雲"を読み込んだその勢いそのままに司馬遼太郎の作品群だ。
どうも親父殿がファンだったのか、まさか坂の上の雲が全巻あることにも驚いたけれど、その他にも主に日本史関係で結構な数の司馬遼太郎の作品が置いてあるのである。
見る限りすっかり本の上には埃を被っている状態だったので、購入したのがそもそも相当前のようだけどこの際自分にはどうでも良いとばかりに、ちらっと読んで興味を覚えたらそのまま自分の部屋へ奪い去っては読み漁ることにした。
今回漁った中で主だったのは長宗我部盛親だったり、北辰一刀流の千葉周作だったり、速い時は一日で一冊終えてしまった、どんだけ暇なんだろうかと言う突っ込みはこの際無しで。

他にはあるだろうか、と漁り直したら中島敦まであったので"山月記”に”李陵”まで有名どころもしっかり読んだ。
何だろう、かつては夏休みの読書感想文が宿題の中でも最悪に嫌いな人種だったと言うのに・・・、いや昔から本を読むこと自体は嫌いじゃなかったのかも知れないと思い直してもみる。
嫌いなのは兎にも角にも”感想を書け”と言うその一つに尽きただろうか。
現に今でもこうしてじゃあ司馬遼太郎の作品の感想を述べよ、とのたまわれても正直一切感想も何もあったものじゃない。
ただ単に言えることは「とかく面白かったです。」位であってまるで幼稚園児が夏休みのイベントに参加した時のTVの回答だ。

活字に興味を抱いたところで、さすがに頭の中まで何か起きるわけではないらしい。
結局何もしないただの暇な連休を過ごすよりは幾分マシだったような気はするけど、一度”実家に帰省する”と言う連休中の概念をすっ飛ばす勢いで何か考えた方が良いのだろうか?
家でただのんびりと休むのも連休の内だとは思うのだけど。

声帯は大事にしましょう

2011年08月14日 11:34

高校の同期と遊びに行く・・・と言っても結局田舎と言うこともあってやることはカラオケに行くこと位。
「ひとまず帰省したよ~。」とメールを入れたは良いものの、そこから唐突にお誘いが来て出掛けたのがすでに夜遅く、と言う状態では他に行く所(正確に言えばそんな時間まで営業してくれている所)を探す方が大変、それが過疎化と高齢化トップクラスの県、福井なのである。
こんな時間に老人連中がうろついてたらほぼ間違いなく集団徘徊と言うか、少なくとも警察と救急は呼んだ方がいいに違いない。

とは言え最近歌ってて気が付いた事実、と言うより問題が一つ。
自分のカラオケのレパートリー、元々歌える曲が少ない・・・と言うのは意外と(?)解消されつつあるのだけど、よくよく考えてみたら自分の歌える曲が色んな形でことごとく"喉に悪い"ことが判ってきた。
と言うことでどんな曲やってるのかと思い起こせば
①そもそも音が高い:
基本原曲で歌うのだけど、ヴォーカルが男でも女でもどれも割と高音域が多い、しかもどっかで叫びがち・・・。
②テンポが速い
洋楽は言うに及ばず、マシンガンズまでやりだしたらいつの間にか落ち着いた曲が自分のカテゴリーから一気に消滅した、気がする。
以前はもっとゆっくりとした曲もあったはずなのに、何歌ってたっけ??
③①と②の合わせ技
初音ミクまで試してみたら案の定サビは歌えない、人間の音域じゃないことを身を以って痛感。
ついでに言えばマシンガンズも曲によっては音域が結構高い。
そんなことに後から気が付く自分も大分頭を振り過ぎておかしくなってる可能性大。

最近まであまり歌ってなかったから久しぶりに行って①~③をいつも通りやってみたら案の定、中盤までで一気に失速。
とても最後の締めに愛を取り戻してる場合じゃなくなった。
歌ってやっぱ練習と言うか続けないとすぐに落ちるよねえ、とは幾度となく聞いてきたけど、本当のことだと思う。
それ以前にこの毎度の酷使ぶりも直さないととてもこの先持つ気がしない。
マシンガンズを連投してたら「大分ストレス溜まってるんだな・・・」と妙にしみじみ言われた。
別にそんな意図も無かったのだけど、歌詞の内容は確かに尋常じゃないのは事実か。
それにしても昔は何歌ってたっけ?そこまで酷使する曲ばかりじゃなかったのは間違いないはずなのだけど・・・。

夏期休暇

2011年08月11日 21:40

初日はこちらでの用事を済ませて、明日実家へ帰省する予定である。

実家の母へその旨を伝えて、「何か御土産要る?」と聞いたら、「うちと○○と△△の親戚に一個ずつ!」としっかりお願いされてしまった。
聞かない方が良かったかな、と思うのは辞めておこう。
どのみち帰省の高速のどこかのSAで買い漁るのが毎回の常套手段なので、買う物と言えば本当にご当地の名物なのかどうなのかイマイチ釈然としない菓子とか漬物の類になるはずだ。
さすがに今は猛暑真っ只中の夏なので、生物とか鮮度に関わるものは控えておくに越したことは無い。
実家に帰省したついでに食中毒まで持って帰るなど何処まで親不孝なのか知れたもんじゃないのである。

はてさて、明日は8/12とほぼお盆休み直前である。
渋滞の程はいかがなものだろうか。

蕎麦屋

2011年08月05日 21:15

ラーメン屋は割としょっちゅう「良い所が無いものか」と探す。
ところが、それ以外の麺屋さんになるとコレが案外適当と言うか、ほんとのことを言えばそこまで熱心に「あの麺屋へ行こう!」となったことが実は無い。
ラーメンによらず他の麺にもそれ相当にご執心なのは"自他共に"認められてる(?)所なのだけど、考えてみれば妙な話だ。
とは言って例えば蕎麦なんかにしたって、ラーメンのように麺の太さがどうとかスープ(と言うかこの場合つゆ?)の味の濃さがどうとか、拘ったり好き嫌いを言う"要素"がさほど無いのじゃないかと言う気がしなくも無い。
極端な話、「あの蕎麦屋旨いよ」なんて会話を(年齢層とかにも余り関係無く)自分もそうだし、他の所でも早々やったことが無い。
うどん屋にしたって近所にあるからと言うだけで丸亀製麺に足繁く通っているけど、あれは分類的にはすき屋とか吉野家みたいなもので、何か"これ"と言う拘りがあって行ってる気がまるでしない、手頃感は充分あるけど。

そんなことをたまたま昼飯時に思い付いたものだから、「では一度、蕎麦屋を探しに行こう」と言う心境に突如陥ってしまったのである。
とは言え既に時間も時間だったから今から思い切り遠出してまで・・・とはならず、ひとまず近隣でどこぞ良い蕎麦屋は無いものか、と漁ってみた挙句ホントにその店にぶっつけ本番で行くことにした。
と言いつつも、ネットの評価なんか鵜呑みにはしないほうが良い。
自分の持論として、「食べ物ほど人の意見が当てにならないものもない。」と言うのを常に念頭においている。
実際ラーメンにしても「あそこの店旨いよ」と聞いて実際当たりだった時と完全に外れた時と、少なくとも自分の経験上では結構バラバラだったりする。
全く逆で自分が好きな店のことを話したら、相手から「あそこはダメだろう」とばっさり斬られたこともある。
味覚があくまで感覚であり、万人に共通しないと言う良い例だと思う。

とは言え蕎麦屋で外れ、もなんか早々あり得ない気にもなってさっさと行ってしまうことにした。
もはや百聞は一見に如かず、食ってしまえば良いのである、まさか蕎麦で腹に当たることはあるまい。
結果から言えば至って充分だった。
麺が柔らかすぎない(と言うか実質固めが好き)のが蕎麦としては好みなので、その辺は全く問題無し。
時折「完全に茹で過ぎじゃないか」って位妙に柔らかいのがあるけど、アレは実際茹で過ぎなんだろうなと思う。
しかし、蕎麦屋の常で例え大盛にしてもやっぱりそこまで満腹にはならない・・・。
いっそザルで4段にでもするべきだっただろうか、飽きるかも知れないが。